2025年12月6日に、福厳寺にてあきば大祭が開催されました。
秋葉大祭は、火の神様として敬われる「秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)」にあやかり、火難を防ぐために行われる大祭です。火防や無病息災などを願い、全国各地で「火渡り神事」が行われます。福厳寺のあきば大祭でも火渡りが行われ、僧侶だけでなく一般参加者も火の中を歩くのが特徴的です。
古来から「火」は暖をとるもの、そしてさまざまなものを加工する文明の力として非常に大きな役割を果たしてきました。一方で、扱いを間違えば街全体を焼き尽くしてしまうほど恐ろしい力にもなります。
「秋葉三尺坊」はかつて実在した僧侶で、恐ろしい火事に自ら飛び込んで人々を助けたと伝えられており、「火防の神」として全国の神社やお寺で祀られています。
秋葉三尺坊は、物理的な火だけではなく、心の火も収めるようにという教えを残しています。では、心の火とは何でしょうか。福厳寺のあきば大祭では、なぜ一般参加者も火渡りをするのでしょうか。
当日のレポートをしながら、あきば大祭の意義についてお伝えします。
火渡りを陰で支えるリーダー

朝、誰よりも早く境内に来て、火渡り祭場を入念に確認している方がいました。
この場のリーダーを担う稲垣さんです。

稲垣さんは福厳寺の近くにお住まいで、30年以上前からあきば大祭に関わっているそうです。お父様や先輩方から木の組み上げ方を教わり、今は責任者として火渡り祭場づくりを任されています。
祭場づくりは、あきば大祭の1週間前から始まります。材料となる木を山から切り出し、長年の経験と知恵をもとに、火が付きやすいように組み上げていくそうです。
事前に何度も確認しているけど、火を付けてみないとどうやって燃えるか分からないものだから、最後の一人が渡り終わるまで気が抜けないね。
30年続けてるけど、正解なんてないんだよ。毎年、もっとこうすれば良かったかなとか思うんだ。
と笑顔で語る稲垣さん。父から子へ、子から孫へ。地域の方が、それぞれの知恵を脈々とつないできた歴史を垣間見ることができました。
「おいしい食事で笑顔になってほしい」という想い
10:00ごろ福厳寺の台所「典座(てんぞ)」を覗くと、今年もたくさんの大愚煮が仕込まれていました。

大愚煮とは、大愚和尚がレシピを作った、大根、鶏肉、里芋のスープ煮です。見た目はあっさりしていますが、食べてみるとニンニクが効いたパンチのある味で、あきば大祭で大人気のメニューです。
あきば大祭開始時間の11:00になると同時に参拝者が訪れ、「お祭り広場」が活気を帯びてきました。お祭り広場とは、普段は福厳寺の駐車場となっている場所で、あきば大祭の時には多くのお店が並びます。





どのお店も参拝者の笑顔のために、工夫を凝らしたお食事を提供しています。
出店の中に、「ももちゃんサンド」というお店がありました。こちらは佛心会員4人が有志で集まり、初めて出店したサンドイッチのお店です。


リーダーは千洋江水(せんよう・こうすい)さん。江水さんはもともとお料理が好きで、有名パン屋で勤務されていたご経験をお持ちです。2025年4月の花まつりで典座のお手伝いをしていた江水さんが、雑談の中で「家でサンドイッチをよく作る」という話をしたら、福厳寺側から「出店してみては?」と提案があったそうです。
江水さんは「自分にできるのだろうか」という不安を乗り越えて出店を決意し、食品衛生責任者の資格を取得。自宅でサンドイッチの試作を繰り返して、今回のレシピを開発しました。
今回の出店は、4人だったからできたんです。私一人では絶対にできませんでした
と江水さんは話します。一人で悩んでいた時、「手伝ってほしい」と3名に声をかけたところ、全員が快く引き受けてくれたそうです。あきば大祭当日は、江水さんがサンドイッチを作り、お仲間の3名がお店の飾り付けや接客を担当。それぞれが「自分のできること」を精一杯発揮し、笑顔で参拝者を出迎えていました。

お祭り広場には、写経やコケ寺リウムづくりなどのワークショップもあり、お寺でしかできない体験を楽しむ姿が見られました。


魂に響く演奏会
お祭り広場から少し場所を移動し、「羅漢堂(らかんどう)」に足を延ばすと、チェロとピアノのコンサートが開催されていました。あきば大祭では初めての試みです。

チェロ演奏者は長谷川寧々さん、ピアノ演奏者は石橋幹鷹さんです。愛知県立芸術大学のご学友だったお二人は、全ての魂に響く、素晴らしい音楽を奏でていました。
コンサートホールとは全く違い、演奏者と観客が近いのが、このコンサートの魅力の一つです。演奏者の息遣いが聞こえるほど、迫力ある演奏会でした。

ご祈祷で心を整え、火渡りに備える
秋葉本殿ではご祈祷が続きます。ご祈祷とは、参拝者の健体康心や願い事の成就を祈願し、大愚和尚と福厳寺の僧侶が読経する儀式です。

本殿の中は静寂で、聞こえるのは太鼓の音とお経だけ。自らの心を見つめる時間です。

15:00を過ぎると、お祭り広場がさらに賑わってきました。1年の締めくくりとして「火渡り」に参加したいという方が、全国各地から集まります。

参拝者の一人、東京から来たという底秀男(そこ・ひでお)さんにお話しを伺いました。あきば大祭の参加は今年が2回目で、昨年は奉賛者(有志のお手伝い)として参加したそうです。

底さんは、2021年にご家族を亡くされたことをきっかけに仏教に触れ、大愚和尚のYouTubeに出会いました。そして次第に自身を見つめる機会が多くなったと言います。
自らの悪いところに気づけば生きやすくなると思っていたけど、「気づく」のはスタート地点でしかないことを学びました。
気づきを「認める」までに時間がかかるし、一山乗り越えたと思ったら、新たな気づきがある。歩いても歩いても、新しいスタートラインに立ち続けている感覚なんです。それでも、前に進むしかないですね。
と教えてくださいました。一人ひとりがいろいろな思いを持って大愚和尚の話に触れ、あきば大祭に参加されています。
15:30になると、火渡り祭場がある境内には既にたくさんの人が集まり、大愚和尚の法話を待っていました。

16:30 僧侶たちを先頭に、八大龍王(はちだいりゅうおう:仏法を守護する龍神)と松明が、山門から秋葉本堂に向かいます。



大愚和尚の法話——心の火をおさめよ
16:45 大愚和尚の法話が始まりました。

神と呼ばれるものは大きく二つに分かれます。一つは大自然。もう一つは偉大なる功績を残した人間です。神のような人間が権現と呼ばれ、人々に敬われてきました。
あきば大祭は、かつて実在した秋葉三尺坊という権現の功績を称える大祭です。
かつては今以上に恐れられていた火事。全国を周り、恐ろしい火事に飛び込んで人々を助けたのが秋葉三尺坊です。
秋葉三尺坊は、物理的な火と同時に、私たちの心の中の火も収めなさいという教えを残しました。
心の中の火とは、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)。欲と怒り、そして無知です。
火は怖いです。でも、もっと怖いのは、心の火です。
火は怖い、熱い。このことを身を以て体感していただき、自分の心の火を収めていただく。これがあきば大祭の意義です。

火渡りで「三毒」を燃やす
法話が終わると、秋葉本殿から松明が戻り、火渡り祭場に点火されます。

背丈を優に越えるほどの荒ぶる炎を、僧侶たちのお経で収めていきます。

そして、大愚和尚が先頭を切り、火の中を歩きます。どれほどの熱さなのか、想像もできません。

僧侶たちが渡り終えた後に、参拝者が渡ります。
子どもも大人も、一度足を踏み入れたら戻ることはできません。歩みを止めずに渡り切ります。


最後の参拝者が渡り切るまで、見守っている方がいました。火渡り祭場の責任者、稲垣さんです。
今年も一人もケガをせずに終わって、ホッとしたよ。やっと肩の荷が下りた。
今回は火が内側に向かって燃えていたから、来年は炎が外側に行くように工夫しようと思う。その方が、参拝者が渡りやすいと思うからさ。毎年勉強だよ。
と笑顔で語ってくださいました。
このように、自らの知恵を絞り、翌年へ、そして後世へこのお祭りをつなげてくれる人がいるからこそ、創建以来お祭りが続いてきたのでしょう。

無事にお祭りを終えられるのは、当たり前ではない
火渡り後のお祭り広場には再び参拝者が集まり、歓談を楽しんでいました。子どもたちの姿もたくさんあります。人との交流を通して楽しむことも、あきば大祭の醍醐味です。


「ありがたい」とは、「有り難い」と書きます。
「有ることが、当たり前ではない」という意味です。
参拝者の想い、そして裏方でお祭りを支える方の想いに触れることで、今年も無事にあきば大祭が開催できたことは、本当に「ありがたい」ことだと実感しました。


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